最新の報告

 2007年9月に行われたムンバイ光の教室の報告

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最近、経済的に進歩が著しいインド、最新のスーパーマーケットが登場
インドの達人西村ゆりに、今回は 大きな危機が迫る!
などなど、迫真レポートをお楽しみ下さい

本文より抜粋

 この旅の目的は、JICA(国際協力機構)事業の内容について、BLPの感触を確かめることである。大それたことに、私たちは3年前から、このインド事業をJICAの「草の根技術協力事業」に結びつけることを考えていた。何度も挫折し、一時は無理かとあきらめかけていたのが、去年末ごろから、外と内、双方の状況が変わり、一気に進み始めた。思い切ってやってみる気になったのは、子ども達が、光の教室を卒業した後の現実を知ったことが大きかった。(教室を出たあと、ほとんどの子どもは、“放浪者”になってしまうというのだ)「子ども達の卒業後の自立を支援するチャンスであるなら、できる限りやってみたい」という思いで、運営委員会で長時間かけて話し合い、ひねり出した計画は、まず子どもの「心の自立」のため音楽療法を行うという、JICA事業としてはかなり変わった?内容のもの。
「心の自立」のための音楽って何だ?―実現は無理そうだな、と感じつつも、「何とかなる」と突き進んでいたら、これ以上望めないような専門家(指導者)がメンバーの中に見つかり、あれよあれよと話しが進んで、気がついたら、事業提案書の内容だけが、えらく具体的になっていた。
(中略)




ムンバイに同行した学生Kさんのレポートもどうぞ

ゆりさんが「今日の授業は御所に行きましょう!」と言うのと同じ様に言った
「インドに行きましょう!」という呼びかけに、私は深く考えもせず手を上げていた。

【人と人の距離】

インドで感じた違和感の一つだ。街に出るとだいたいどこを見ても人がいる。人口密度か濃い。人が近い。これだけ人口が多けりゃそりゃそうだろう、って?まぁ確かにそうだ。しかし日本だって都会には人が溢れているけどあんなに近さは感じない。インドの場合、会話をしながら歩く2人のスペースが小さいのだと思う。今にも肩を組めそうなほど寄り添って歩いている人も少なくない。きっと騒がしい街の中で声を届かせる意味もあるのだろうが、人が近くにいることが、人とふれあう事が日本よりもずっと当たり前の生活なのだろう。階級が違う人と人との気持ちが近いのだろうなと感じた。

【教室の子どもたち】

あんなに大勢の人と手をつなぐなんて、まして子どもとつなぐなんて、間違いなく人生初だったと思う。教室についてすぐ、輝くような笑顔と小さな手の嵐に巻き込まれた。その無邪気さになぜか一瞬涙が浮かんできた。でも落ち着く暇なんて与えてはくれない。次の瞬間には私1人だけ、笑顔の子どもに両手をぐいぐい引っ張られてどこかへ連れて行かれた。「えぇー!?なぜみんなと離れる。どこ行くねん。とゆうか、ここはどこ、あなたは誰ぇー?」後から子ども達は親切にも教室に案内してくれたのだとわかるのだが、この時は軽いパニックだった。教室にいた先生やチャングーにイスを勧められたものの、話す事もできずどうして良いのかわからずニコニコしながらゆりさん達のいるステージの方へ逃げ帰った。見事な先制パンチだった。

言葉は通じないし、普段子ども慣れしてない私はどうやって遊んだらいいのかすらよくわからなかった。それでも子ども達はDD!!Dー!(D:お姉ちゃん)と無邪気によってきてくれる。嬉しい。わからなさ過ぎてどうしようもないので、差し出された手と片っ端から「ILOVE YOU握手」をして、折り紙を折って、手遊びをしてハーティを歌った。それこそ順番を争って私たちと遊ぼうとする。途中何度か順番を巡って小競り合いが起きた。軽く突き飛ばされた子もいた。こっちは「ここで喧嘩か!?」とハラハラしたのに、いつの間にかあっさりどちらかが譲って喧嘩には発展せずに終わってくれた。これには驚いた。友達との衝突をこんなに自然に飲み込めるものなのか。私の知っている小競り合いの結末は誰かが泣いたり、誰かが怒られたり、しこりが残るものが多いのに。えらいなぁ。彼らのあっさり次に進む切り替えの速さは私も真似したい。

【豊かさ】

日本の格差社会なんて比じゃないくらいの格差が転がっていた。快適な一人暮らしが可能なほど広く・磨き上げられたタージマハルホテル(超高級)のトイレ。あの床になら寝転べる、これは言い過ぎか。ホテル内のレストランに並べられたスイーツの美しさと種類の多さには引いてしまった。そこから50メートル先の道端には弱った赤ちゃんを抱えたお母さんが座っている。おそらく彼女達は一生あのスイーツ達を見ることはないのだろう。そう思うと飾られた豪華な氷細工が、とめどなく流れる水のカーテンがきれいであればあるほど悲しく見えた。今のインドは経済発展が著しく「頑張れば上を目指せる」。その反面、受験ストレスで自殺者も増えているらしい。豊かさって何なのだろう。4回生の今、あらためて自分の学科(人間生活学科)の「人間の豊かな生活について科学する」というテーマのはてしなさに圧倒された気がした。

【インド人の感覚】

結婚はカーストによって親が決める事がまだまだ多いのだという。インドは身分意識が色濃く残った国だと言われている。幸せな事に私は今まで自分の身分など意識せずに生活してこられた。その分、インドでは自分の立場をどう意識したらよいのか戸惑った。ホテルやレストランで働く人を見ていても、指示する人とされる人の力関係ははっきりしている。私は今アルバイトをしているが、仕事内容を考えるとインドの「指示される側」の人間に近い。しかし現地の人から見れば私は「お金持ちの日本人」だ。こんな私でもマダムなどと呼ばれるのだから驚きである。でも、マダムなんて呼ばれても私まだ学生で未婚で21歳なんだけどな。レディの方が嬉しいんだけどな。やっぱり惜しい。インドはなぜか惜しい事が多い。良いサービスを提供しようとする努力はひしひしと伝わってくるのだが、どうもツメが甘い。その不器用さがインド人の可愛らしさでもある。

【家庭訪問】

スラムの中にある子ども達のお家も見学させてもらった。想像していたよりはずっとキレイで、電気が通っている事に驚いた。(後で聞いたらこの電気は近くの電線からいただいてるそうだが・・・)水はけの事とかも考えてだろう、室内は地面から30センチほど上がったところにちゃんと作られていたり、高めの天井にはファンが回っていたりと快適性が追求されているようだ。目測で3畳半くらいの1ルーム、玄関入って右にキッチン用品がかためて置いてあり、小さな棚にはいくつかスパイスが置かれていた。薄い板の向こうはもうお隣さんの家。その壁だって大まかに作られていて隙間からお隣さんの顔を見放題だ。同じスラムの中にも豊かな家と貧しい家があるようでTVとDVDがあるお家もあれば、そのお隣は壁が無い吹きさらしだったりした。見学しているとご近所さんがどんどん集まってくる。おばあちゃんが現地語でガンガン話しかけてくる。もちろんサッパリわからない。軽くバカにされた気もする(笑)でもいい顔で笑ってたから一緒になって笑っといた。ははは。ふふ。人と人が近くで関わりあう生活、この雰囲気って昔の日本の長屋暮らしと近いんじゃないかな。貧しくても、人があたたかくいられるって素晴らしいことだと思う。

 街には土地不足解消のためか高層住宅がたくさんつくられていた。ホテルの窓から隣のマンションを眺める。(マンションといっても日本人の感覚から見ると団地住宅を縦に積み上げた感じなのだが。)そこに住む人たちはスラムの人たちに比べて金銭的にずいぶん裕福なのだろう。外からはどんな人が住んでいるのかわからないが、このマンションにも近所づきあいが成立しているといいなと思った。

【インドご飯】

以前の旅行で激辛料理を我慢し続けた結果、旅の最後に腸が悲鳴を上げた事があった。

その教訓から旅の前半は辛いものを特に慎重に食べた。インド独特のスパイスが慣れるまでは辛い。お口直しに甘いものでも・・・というと甘過ぎて撃沈。薄味という概念は無いのか、と当初インド料理を恨めしく思った。

教室でお昼ご飯(混ぜカレーライス)を食べるあたりから「もういつ倒れてもいいだろう」と妙な決心がついた。子供用の味付けのカレーなのに実に辛い。恐るべしインド人の味覚。私たちがあまりに辛いとわめくのでフローラ先生がケチャップをかけてくれた。なるほど食べやすい。ケチャップの偉大さに感謝した。教室ではおやつもごちそうになった。ビスケットとキャンディーは子ども達にも配られる。驚いたのは自分に配られたおかしを私に分けてくれる子どもがいたことだ。せっかくもらったお菓子だから独り占めしていいのに、お腹いっぱいというわけでもないだろうに。一枚のビスケットを周りの人と分ける。一口ずつかじっていく。その光景がとてもほほえましくて優しい気持ちにさせられた。

最終日にBLPで出されたサモサはとてもおいしかった。インドにも焼きそばや焼き飯に似た料理があって親近感がわいた。徹底して買った水しか飲まなかったおかげか、旅行中無事お腹を壊すこともなく過ごせた。なにより自分がインド料理をおいしいと感じられるようになれたことがとても嬉しい。マサラドーサとサモサとチャイとスイカジュースが特にバホットアッチャーでまた食べたいインドの味になった。






来年5月、インドムンバイからモンスーン教室でお世話になっている
BLP(ボンベイ・レプロシー・プロジェクト)のお医者さん、スタッフ、
そしてできれば子どもたちを日本に呼ぼうと計画しています。