活動報告

ハンセン病を患った人々の心が私の心を励まし、再生の力となった。
決して共通点があるとは思えない両者。かたや、体にらいが出て、誰の目にも明らか故に
差別の苦しみを受け、かたや誰の目にも健康に見える故に、苦しみを誰とも分かち合えず。
世より受けた差別。そして生くる苦しみ。それが共通点。ただ互いの間でだけ、それを
確かめ得るもの。それでもそういう人々が存在し、そういう人々の生活があり、そういう
人々と心の交流が可能であること。それが私の救いでした。
人としての心の深みにおいて、この世で報われない苦しみはないと私は実感しています。
それは、光の届かない深海(200m以下)の如く、しかしそこには、この世の光よりもっと
明るい光がある。それは、自然界とは全く違う人間の心の世界。そこには神が住む。
あらゆる音楽が、そこでは存在しています。
                              Y.M.

多磨全生園「ハンセン病資料館」に行ってきました

9月3日、佐野和子さんとともに、東京都東村山市にある多磨全生園を訪ねました。
この日お会いしたのは、佐川修自治会会長。「今年度はぜひ全生園に行きたい」というメンバーの
希望もあり、12年ぶりに全生園で大きなコンサートをさせていただくお願いと、昨年(2007年)
4月にリニューアルされた「ハンセン病資料館」を見ることが目的の訪問でした。
2009年9月には設立100周年を迎える全生園。12年前に初めて訪れて以来、光の音符は、この
園の自治会の方がた、また、園内に置かれている「全療協」(全国ハンセン病療養所入所者協議会)
事務局の神事務局長をはじめとする職員の方がたに、コンサートや、インドの子ども達への支援に
おいて非常に力強いご協力をいただき、たくさんの出会いや学びの機会を与えられてきました。

「明治42年4月には、青森の松丘保養園や、大阪の外島保養園(のちの邑久光明園)など、全国で
4つの園が開園したけど、ここだけ地域の反対運動で5ヶ月遅れたんだ。」「らい予防法が廃止されて
から、亡くなった人の遺骨を引き取る遺族が増えた。今は遺体を持って帰られる遺族もある。こんな
世がくるとは思わなかったですよ」「前に光の音符さんがコンサートをしたとき以来随分亡くなって、
今は323人。年20人くらい亡くなるかな。10年経ったら全国600人くらいになる。20年もしたら、
1人もいなくなるだろうな」平均年齢80歳。そのうち89歳以上が40人もおられ、一番若い50歳台
の入所者は3人とのこと…。おだやかな優しい笑顔で話される言葉は、ひとつひとつ重いものでした。

佐川会長は、資料館の学芸員、語り部のお仕事も続けておられ、'93年の資料館の開館に力を尽く
されたお一人でもあります。リニューアルされた資料館は素晴らしい内容!昭和40年代まで各園に
あった「園内学園」の子ども達についてのコーナーでは、子ども達の写真や作文に胸が一杯になり、
帰り際、売店で、教師であった鈴木敏子さんの著書、「らい学級の記録」を迷わず買っていました。
 世間と切り離された学びを強いられていた子どもがいた歴史を忘れず、光の音符が今できること―
インドの子ども達の教育のお手伝い―に、明るく取り組み続けたい、改めてそう思った一日でした。 
                                                      西村 ゆり

 注:高等学校は、この少女がいた時代、唯一長島愛生園にだけありました

ハンセン病資料館

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